適当な日記

あぁ説明とかとくにないです

口調とかぶっちゃけなんでもいいよね

 

 

 1か月前。

 上司に「プラモデルを作りたいから」なんて突拍子もない話を試しに言ってみれば意外となんとかなるようで、4連休の最終日である本日は堂々と休みを満喫した。

 もちろん私はプラモデルなんて作るつもりなんてさらさら無いし、ニッパーやらペンチやら必要な工具すら何一つ揃えていない。

 ただ、世間は4連休なのにその全てを仕事に費やすのも癪だなと思ったわけで、滅多に発生しない有給休暇を消費してまで私は願いを叶えたのだ。

 かといって何をするかを明確に決めずにつまりは、私のToDoリストは真っ白のまま本日を迎えた。

 

 私はとりあえず睡眠をとることにした。

 こう毎日仕事に勤しみ1週間もすれば知らないうちに疲労は溜まっているようで、贅沢にも西日が傾くくらいまで眠っていた。

 休日の無駄遣いといえばそうだろう。

 だが、この長い睡眠時間を無駄とするかは残りの行いが決めるのだ。

 まだ休日は終わっていない。

 冷蔵庫にあった食材で適当に小腹を満たしつつ残りの時間で何ができるか考えた。

 

 まず思いついたことは本を読むことだ。

 私はどうやら買って満足する節があるらしく、暇さえあれば本屋で何冊か見繕ってくるのだが、1冊読み切った本は少ない。

 買ってきた本の大半には栞が挟まったままであり、中にはプロローグだけ読んでそのまま埃が溜まり始めたものもある。

 これはいかん。

 せっかく買ったのだから読むに越したことはないし、何より自分の糧になる部分もあるだろう。

 既に3大欲求のうち2つは満たされているし、もう1つはまた別の機会に繰り越すとしよう。

 

 食器を洗い終えてまず手をつけたのは「涼宮ハルヒの憂鬱」だ。

 昔、私がまだ『どうやって速く走るか』しか考えていなかった頃に1度だけ読んだ記憶があるが、改めて読もうと思い先日取り寄せた。

 これを読んで足が速くなることは無かったが、当時面白さを凝縮したような1冊に今までロクに本すら読まなかった少年になかなかの衝撃を与えたのをよく覚えている。

 まさか大人になって自分が小説を書いてみようとチャレンジすることになるとは全く思っていなかったが。

 

 早速、栞の挟まったまま放置されている本ではなく好みの本を選択した私であったが、おかげでページを捲る楽しさなるものを身に染みて感じられた気がする。

 そのまま続くように埃を払いながら何冊も本を読んだ。

 著者が変われば当然中身も違うし、全てにおいて決まったルールなんて冒頭にスペースを開けたり、記号系を使うときは偶数個にするとかそんなものくらいしかないと再認識。

 いつの間にか、小説とはこういうものでなければならないと凝り固まっていた頭がどんどん解れていくのを感じた。

 そうそう。

 その影響をモロに受けている直後なので、口調が小説調なのは見逃してほしい。

 書きたいものを好きなように書くのが日記であればこれもアリだろう。

 

 

 それから一度座りっぱなしだった身体を動かすために散歩に出た。

 当たり前だが日は落ちて慣れ親しんだ近所の道も街頭のポツポツとした灯りのみで、歩道を歩いているのか車道にはみ出ているのか曖昧な道を歩いた。

 私は煮詰まった時など隙あらば散歩に出るのだが、その時も執筆の時もイヤホンは欠かせない。

 うまく言語化は出来ないが、謎のなんかそれっぽい効果がある気がする。 

 身体を動かすと頭が回転するのは本当のようで、曲を聴きながら今日の日記に何を書くかノープランだったものが頭の中でどんどん決まっていく。

 何も決まっていないものを文字にするのは大変面倒で、時間がかかる。

 書くことが決まってさえいればあとは指が勝手に動いてくれる。

 執筆方法が原稿用紙記入式ではないのが救いだ。

 私は字が汚いのである。

 

 そんなこんなで今に至る。

 スラスラ書けはするものの、使っているフレーズなんかは私が元々よく使うものが多かったり、言い回しが同じだったり、細かいところを言っていけば追加で数千字書けるだろうがここでは割愛。

 この問題は簡単には解決しないだろう。

 ただ解決方法は単純だ。

 学べばいい。

 ひたすらに本を読みひたすらに小説を書き、ひたすらに学べばいい。

 

 連載を停めてまでその時間を確保したのだ。

 これを書き終えたらひとまず本読みの再開といこう。

 効率を考えるよりなんでもいいからやってみるが吉だ。

 

 ではまた。